とすることがありました。もし相手が目の前にいたら、あのポーズをつけた手で指先を相手の顔面へと向けてから高速移動させていたことでしょう。目潰しか鼻フックを軽やかに行うことが出来ます。
そんな苛々を解消すべく、いっそのこと包み隠さずにぶちまけてしまおうとブラウザを開きました。しかし、ただ不満だけを述べるのは誰でも出来ることですし、仮にそのような浅ましい行動をした場合、私の嫌いな人と同じようなことを自分でもしてしまうと気づいたので、冷静になって一呼吸置いてから作業が出来ました。何より一度首を縦に振った自分にも非はあるのです。嫌なら嫌だと言えばよかったんです。それでも言えずに承諾してしまったのは、私の若さ故の過ちであり、一つの学習の機会となりました。

転んでもただでは起きません。起き上がる際に倒した相手を引っ張り倒した反動で起きて、そしてその方の顔面を遠慮なく踏みつけてから前進します。「七転び八起き」ではなく、「七転び七転ばせ八起き」です。
クールダウンクールダウン。KOOLに行こうぜ。(not誤字)
変化というものを求める場合、すぐに出来るものっていうのはやっぱり外見的なものだと思うんですよ。客観的にも主観的にも変わったってわかりやすいものだから。




そんな理由も含みつつ、22日に断髪しました。30cmほど切り落としました。終始雑誌を読んでいたので神になりたかった少女が出てくる某アニメの歌のように髪を切り落としたくて瞳を閉じたりはあまりしてませんが、兎に角さっぱりはしました。寧ろスースーするくらいの勢いです。考え事をしてると頭や髪の毛を触ってしまう癖があるのですが、取っ掛かりが少なくて、すぐに空中を手が彷徨うのですごく違和感があります。
しかし、洗髪は楽です。シャンプーの量がぱねぇです。少量的意味で。あとはしっかりトリートメントやらをしてこの長さから労わりつつ、また伸ばしてみようかなと思います。

私が髪を伸ばしていたのは主に卒業式で結わえるためでしたが、それ以外にもある種の願掛け的要素を含んでいたような気が今更ながらしています。それが何かはいまいち言葉に出来ないので叶ったのかと問われれば、「まだわかりません」としか答え様はありませんが、それでも何か依り代となるものがあると気持ちの面で楽なのだなぁとは感じました。一種の責任転嫁でもあるのでしょうか。神様とか宗教っていう類と限りなく同列だと思います。
これで少なくともあと1年はネット上に無駄なアーカイブを残すことが出来ます。

続・誰も見てないと思うから更新。学生生活もあと2週間ばかりとなりました。皆さん如何お過ごしでしょうか。licoです。欝です。(話の切り込みに問題あり)
ここ最近は今まで抑圧されていた欲求を解消するが如く、あちこちに出歩いたり、飲んだり、飛行機に乗ったり、飲んだり、飲んだり、飲まれたりしてます。大した普段と変わってませんね。


何か一つの節目を迎えるたびに、変わらなければならないと思うことがよくあります。転校然り、卒入学然り、就職然り。しかし、何を変わるべきなのかが毎回わかりません。寧ろ変わらない方がいいのかもしれないと思うこともここ数日で出てきました。だって面倒くさいから。同時に変化というものに対して多少なりとも恐怖というものを感じているのも事実です。変わることは良い方向にも悪い方向にも等しくその可能性を持っています。自らもたらした変化によって状況が悪化するくらいなら、変わらない方がいい。一種の逃げのような気もしますが、そう思うのも否定は出来ません。

「変わる」ということに関しては、大学に入った頃に心の中で掲げていた目標は幾許か達成したような気もいまならしますが、もう少し頑張れたような気がするのも事実です。人間というのはどこまでも欲張りで、そしていつも何かしら後悔を抱えている生き物なのでしょうね。今なら悟りが開けるかもしれない。ごめん、仏陀氏の努力を蔑ろにする発言をした。訂正してお詫びします。


「ありのままのアナタが好きよ」「だから変わらなくていいのよ」的な台詞を漫画か本で見て、「この発言をした人に対して言われた人はありのままって言うのを見せているつもりでいるんだろうか」っていう大変捻くれたことを考えてた小学生でした。あと、某美少女戦士物で何で変身シーン中に攻撃されないのか。後で確かめたら、敵が変身してる最中に某美少女戦士たちは攻撃をしたことがあるらしい。何て理不尽な世の中!

話は逸れましたが、「ありのまま」という定義づけは非常に曖昧かつ繊細なものではないでしょうか。何を持ってして「ありのまま」というのか、誰から見た基準で「ありのまま」というのか。「ありのまま」に限らず、そういう曖昧さによって定義されているものの方が案外使い勝手がいいものですね。この台詞を言った(若しくは言わせた)人も、漠然と「ありのまま」を思い描きながら無責任にもこの発言をして読者を苦しめている何て考えていないかもしれない。そして、「ありのまま」の曖昧さにも発言の無責任さにも気づいてないのかもしれない。
そこまで厳密にすると言論の自由が以下略とかになるかしら。言葉って難しい。


話を戻しまして。今は、どこぞの大統領が仰った「change」という単語が持て囃される時代です。人というのは口に出さずとも心の中で何かしらの変化を求める生き物なのかもしれません。そして、もしかしたら私もその踊らされる一般大衆と同等に何か漠然とした変革を望みながらも実際には行動しない・出来ない人間にカテゴライズされているのかもしれません。他が変革をもたらすことを望み、切望する。何より他が変化をもたらすことは自身の責任を減らすことになるのです。人がやったから自分の責任ではない、悪いのは自分ではない、そんなもの望んでなかったと望んでいたにも関わらず嘘をつく。そのような逃げの口実が用意出来ます。生存のためのある種の手段です。何て便利!そして何て愚かしい!


そのようなことをうだうだと申しながら私が最終的に言いたいのは、私は可能なら私の革命は自分の手で行いたいと思います。内面的にも外面的にも。責も苦も背負いながら変化というものを理解出来ずとも何かしら行動して自らの手で望みを叶える。可能なら、いいえ、可能であると信じて。





そんなことを思いながら、今回はこれにて失礼を。
誰も見てないだろうと思うから更新。



ここをどうしようかと1月に30秒ほど考えておりますが、大した用途が思い浮かばないので半ば放置気味です。鯖代は毎年払ってるから、よほどのことがない限り消えはしないでしょう。(例えば去年の振込み忘れ事件のようなことが起こらない限りは)

最近の私のネット上でのサービスの利用状況。
私的な日記はmixi。誰が見たか(おおよそ)わかるから。今は足跡削除機能がついちゃったので、友達のみ公開を止められない。誰が見たかわかる安心感ってある気がする。ネット上に公開した時点で既に隠したいも何も言えないんですが、それでも交換日記をクラスメイトとしていた小学生の頃を考えると、誰が見てるかわかるから落ち着いて文章が書けます。本に関しては読書メーター。サイト関係で知り合った方の読書状況が簡単にわかるのでとても面白い。自分の読みたい本読んだ本の管理もとても楽なツールです。私の読むものって限りなく偏ってるから、今年は今まで見なかった面を持ち合わせたものもたくさん見たい。一言呟くならTwitter。こっちもサイト関係で知り合った人とぶつぶつ呟きあう毎日。大概は取りとめのないどうでもいいことばかりだけど、後で今日何があったかを振り返る時に見ると案外便利だったりする。
こうして考えると、今までブログに集約していたものをそれぞれに特化した機能を持つ物に役割を分散させていますね。一旦は全部まとめようとしたんだけど、一度分けるとそれはそれでとても便利だったのです。適材適所というものか、兎に角何かしようと思うと必ず肌に合うツールというのは別個に存在していました。人間と同じですね。万能な存在はありはしないのです。

オンラインに日々の出来事を綴るようになって(html形式でちまちま打っては更新していた時期も含めると)そろそろ7年くらいになりますが、普段の生活だけではなくネット上の世界でも常に自分の一番安心出来る場所探しをしてるみたいで、人生って疲れるなと思いました。それでも人目のつくところに自分の日常を晒すというのは、一種の快楽的なものでもあるんだろうか。それこそ露出狂が思わずバッ!と己の体を曝け出すように。体が日常で、痴態が文章になっただけ。





個人的には文章を書く練習という大義名分がこのブログを作った時にはあったはずなんですが、今、どこに自分が向かってるのかわからない。多分これからもずっと。それこそ死ぬまで。と同時に、向かう先に目指すものなんて何もないのではと考える自分もいます。寧ろ最初にあげた大義名分もただの飾りなのかもしれない。
掃除が妙にはかどり、当社比4割増で部屋の可床率(床が見える割合)が上昇する。
「ポニョのCM見てたら寿司食べたくなったからさ、寿司食べに行こうよ!」
グラディエーターサンダル☆ハーフ寸
グラディエーターサンダル☆ハーフ寸

我が家では聖闘士星矢サンダルと呼ばれています。

そして吸引力。
改めて自分のお節介焼きな性格を浅ましく感じたので、これからは粛々と過ごす所存です。

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