これで少なくともあと1年はネット上に無駄なアーカイブを残すことが出来ます。

続・誰も見てないと思うから更新。学生生活もあと2週間ばかりとなりました。皆さん如何お過ごしでしょうか。licoです。欝です。(話の切り込みに問題あり)
ここ最近は今まで抑圧されていた欲求を解消するが如く、あちこちに出歩いたり、飲んだり、飛行機に乗ったり、飲んだり、飲んだり、飲まれたりしてます。大した普段と変わってませんね。


何か一つの節目を迎えるたびに、変わらなければならないと思うことがよくあります。転校然り、卒入学然り、就職然り。しかし、何を変わるべきなのかが毎回わかりません。寧ろ変わらない方がいいのかもしれないと思うこともここ数日で出てきました。だって面倒くさいから。同時に変化というものに対して多少なりとも恐怖というものを感じているのも事実です。変わることは良い方向にも悪い方向にも等しくその可能性を持っています。自らもたらした変化によって状況が悪化するくらいなら、変わらない方がいい。一種の逃げのような気もしますが、そう思うのも否定は出来ません。

「変わる」ということに関しては、大学に入った頃に心の中で掲げていた目標は幾許か達成したような気もいまならしますが、もう少し頑張れたような気がするのも事実です。人間というのはどこまでも欲張りで、そしていつも何かしら後悔を抱えている生き物なのでしょうね。今なら悟りが開けるかもしれない。ごめん、仏陀氏の努力を蔑ろにする発言をした。訂正してお詫びします。


「ありのままのアナタが好きよ」「だから変わらなくていいのよ」的な台詞を漫画か本で見て、「この発言をした人に対して言われた人はありのままって言うのを見せているつもりでいるんだろうか」っていう大変捻くれたことを考えてた小学生でした。あと、某美少女戦士物で何で変身シーン中に攻撃されないのか。後で確かめたら、敵が変身してる最中に某美少女戦士たちは攻撃をしたことがあるらしい。何て理不尽な世の中!

話は逸れましたが、「ありのまま」という定義づけは非常に曖昧かつ繊細なものではないでしょうか。何を持ってして「ありのまま」というのか、誰から見た基準で「ありのまま」というのか。「ありのまま」に限らず、そういう曖昧さによって定義されているものの方が案外使い勝手がいいものですね。この台詞を言った(若しくは言わせた)人も、漠然と「ありのまま」を思い描きながら無責任にもこの発言をして読者を苦しめている何て考えていないかもしれない。そして、「ありのまま」の曖昧さにも発言の無責任さにも気づいてないのかもしれない。
そこまで厳密にすると言論の自由が以下略とかになるかしら。言葉って難しい。


話を戻しまして。今は、どこぞの大統領が仰った「change」という単語が持て囃される時代です。人というのは口に出さずとも心の中で何かしらの変化を求める生き物なのかもしれません。そして、もしかしたら私もその踊らされる一般大衆と同等に何か漠然とした変革を望みながらも実際には行動しない・出来ない人間にカテゴライズされているのかもしれません。他が変革をもたらすことを望み、切望する。何より他が変化をもたらすことは自身の責任を減らすことになるのです。人がやったから自分の責任ではない、悪いのは自分ではない、そんなもの望んでなかったと望んでいたにも関わらず嘘をつく。そのような逃げの口実が用意出来ます。生存のためのある種の手段です。何て便利!そして何て愚かしい!


そのようなことをうだうだと申しながら私が最終的に言いたいのは、私は可能なら私の革命は自分の手で行いたいと思います。内面的にも外面的にも。責も苦も背負いながら変化というものを理解出来ずとも何かしら行動して自らの手で望みを叶える。可能なら、いいえ、可能であると信じて。





そんなことを思いながら、今回はこれにて失礼を。